人はどう生きるか|自分の頭で考えるということ

tomoe


はじめに

この記事には、「ハイヤーセルフ」や「本質」など、スピリチュアルな言葉が登場します。
もし、馴染みのない方は、よろしければこちらの記事からご覧になってみてください。

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人生とは”本質と繋がる旅”でもある。

だからこそ「本質」は、あえて最初、見えない場所に置かれている。





このように、魂は幾多もの人生の旅を経て、
”それ” を少しずつ掘り起こしていくことで、育っていきます。


本質が”眠っている=忘れられている”

それが旅のスタート地点となるのです。



本質は忘れられても、決して消えたりはしません。


魂や意識、思考、感情ーー
そのいくつもの層に守られながら、
そこでずっと、目覚めのときを待っているのです。



また、本質は、急いだりもしません。




「こうすべき」
「普通はー」
「正解はー」


そんな言葉が蔓延る世界では、
本質はひっそり静かに眠るしかないのです。



しかし、魂やハイヤーセルフはいつだって
本質に沿って生きようとし続けています。



わたしは、
このブログを通して、「本質」への道しるべを築きたいと思い書き始めました。





本質が忘れ去られているということ


それは、”単なるゲームにすぎない”





でも、わたしは思うのです。




どんなに間違っても大丈夫。


だけどそれが、

”誰かの言葉をそのまま信じたから”

”「正解」だと教えられたから”


であっては残念だと。





わたしは願う。




存分に失敗しちゃおう。
だけどそれが、
自分の意志や選択から生まれたものであってほしいと。




そうでなけでば、それはただ、
人生という尊さを忘れてしまった行為に思えてしまうから。







人のせいにできるとき、
まだ、自分の人生を生きていないのかもしれません。



自分を信じることは、はじめは恐ろしいことです。




でもその行為には、
価値がある。




“自分の頭で考えて生きた自負” があるのなら、
どんな姿であろうと、
自分を誇りに思えるのではないでしょうか。





世界や誰かの言いなりになって、
自分の意志なく生きた結果、


地球を壊してしまったり、
搾取してしまったり、
誰かを傷つけてしまったとしたら、


それはかなしいことだと思います。



「他人の言うことに従っただけだからわるくないもん。」


ではなくて、



自分の頭で考えること、
想像すること、
それができたにも関わらず放棄したのならば、
その事実が、残るのではないでしょうか。





誰もが完璧ではありません。



人を傷つけてしまうこと。
環境を大切にできなかったこと。
やさしくなれなかったこと。


これらは全部、仕方のないことなのかもしれません。


それは、そのとき持っている精一杯の視野で、
持っている力の限りを使って選んだ、

一番いい選択だったのかもしれないからです。



そのことは、
いちばん近くで見ていた”自分自身” が、
一番よく知っていることでしょう。



でも、もし間違ってしまったときには、
責任を取る必要がある。




でもきっと、わたしたちにはそれができるはずです。




自らの頭で考えることをせず、
責任から逃れようとしてしまうとき、
人は自分で自分を穢してしまうのではないでしょうか。




どんな状況だったとしても、





自分を信じ、ゆるし、迎えにいくのは、

やっぱり自分しかいない。








どんな状況、姿であっても、

真ん中は相変わらず、

きれいなまんま。





きょうはそんなお話でした。



















巴

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   巴
-tomoe-
あやしくて、やさしくて、ちょっと笑えて、だけど本質に辿り着くーー。 そんな言葉を紡いでいます。 お花畑の番人で、錬金術を趣味とする。
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