心の探求

心は本質への入口|心を見つけるためのヒント

kanae




”目には見えないけれど、確かにある世界”

それは、わたしたち一人ひとりの中にある、「核」や「本質」と呼ばれるもの。





はじめに



自分の中に変わらないものがあると感じたことはありますか?



わたしは、 そんな ”核”や”本質” が、みんなそれぞれの心の中にあると信じています。




この世界では、諸行無常という言葉が示すように、
『この世のすべてのものは移り変わり、永遠に変わらないものなんてないんだよ』
と伝えられてきました。




しかし、心というのは深いもので、
もし、心があの世とこの世のつながりの中にあるとしたら…

その奥には、変わらない”確かなもの”が、存在するとしたら…


なんだか、わくわくしませんか?


わたしはこのブログを通じて、諸行無常とは異なる世界に辿り着きたいと考えています。


そこは ”目に見えないけれど、確かに在る世界”



感情は変わる、状況は変わる、景色も変わる、人の態度も変わる



けれど、



世界を見守る意識、在り方、核や本質の中にある静けさ



そこには、”変わらない何か”がきっとあるのではないでしょうか。



移り変わる世界の中で、変わらない視点や意識や在り方に戻れる。


そんな場所に触れることができたらと思い、このブログをはじめました。




今回の記事では核や本質にはまだ触れずに、「心を見つける」ということに焦点を当てていきます。


まず、心がどこにあるのかを見つける体験をしていきたいと思います。


心に触れることなので、内容が少々ヘビーかもしれません。


自らの心に触れてみたいという意気込みがある方のみ、読み進めてみることをお勧めします。





心ってどこにあるの?



「 “心” はどこにある?」


そんなふうに聞かれたら、どう答えますか?


胸のあたり?

頭の中?

それともどこにもないような...?



考えても、迷子になってしまいそうですね。


心というのは、”物理的なもの” ではなくて、“感じている現象そのもの” と言い換えることができるのではないでしょうか。




では、さっそく、心を見つけるために感じてみたいと思います。



 ということで、


心の反応をわかりやすくするために、ここでひとつ想像してみましょう。




”もしここで、思いっきり飛び跳ねたら、どうなるかな?”



と思い浮かべてみてください。



どんな感じでしょうか?


ちょっと、びっくりしましたか?





びっくりでもなんでもいいのですが、何かを感じることができたなら、



そう!



そこに心があるんです。



もし、あまり心が動かなかったら、
もう一つ想像をしてみましょう。



たとえば、突然たぬきが背後から自分の頭をなでなでしてきたらどうでしょうか?






何か心は動きましたか?




「びくっ!」とできましたか???





どうやらそこに、心があるようです。




さまざまな心の反応がある中で、なぜ今、
”びっくりする” を選んだのか?
(他の反応が出ていても何の問題もありません)


本当は楽しい気持ちになってほしいという願いがあるのですが、
実は心というのは、不快な感情ほど、”ぎざぎざ” していて違和感としてわかりやすいという特徴があります。


一方で、たのしい反応ほど、軽快で”ふわっと” していて、自然で掴みずらいという特徴もあります。



わかりやすいからと言って、あまり不快すぎることはよくないと思い、今回は”びっくりする”を選び感じてもらおうと思いました。


たとえが下手でしたらすみません。



心の感じ方まとめ

”ぎざぎざ” した感情は、まるで固い個体のようで”違和感”として気づきやすい

”ふわっと”したものは、広がっていて包まれている感じで一点を捉えるのはむずかしい





体験していただいたように、心を感じるということは、決して特別なことではないのです。


びっくりした、うれしいな、こわいな、わくわくするな、


その小さな反応こそが、”心”であり、


実はその ”知覚” は、わたしたちが ”存在しているという感覚” にもつながっています。



次章では、心の中に湧き起こる、感情や感覚に目を向けていきたいと思います。


次章においても、わかりやすい感情を例にすることをご容赦ください。



感情や感覚に目を向けてみる





わたしたちは、感情が “動いた” とき、
とっさにそれを遠ざけようとすることがあります。


なぜなら、それが居心地が悪かったり、気持ちが悪いことがあるからです。



しかし、”心地悪さ” という感覚をそっと感じ続けたら、どうなるでしょうか?





例えば “ピリリ” とした感じや、”もやもや” した感じ、


それらを味わうことは、とてもエネルギーを使うことなのですが、
それを続けると実は、 “その先の世界が存在している” ということを知ることになるのです。


この、つい避けてしまう感覚には、 “向こう側” が存在しているのです。

避けたくなる感情にあるヒント





わたしたちの多くは「感情を味わってみる」、ということをする前に、
心地よくない感情を『悪者』のように感じて、避けてしまいがちです。


だから、 ”感情のその先に進む“ という概念すら持ちにくい。


しかし、もし感情を辿ってその先に行ってみたいと思ったときには、
実は、心地よくない感情の方が辿りやすいのです。



なぜなら前述した通り、
ふわっとした、形を捉えにくいものを辿っていくよりも、
ぎざぎざした、塊や個体のようなものをしっかり捉えて、その奥へ奥へと潜っていく方が簡単だからです。



このことから、実は感情の向こう側に行ってみたいと思ったときには、
むしろ不快な感情の方が、感情の向こう側への筋道を通しやすい


そんな思わぬギフトが隠れているのが、避けたくなるような感情のもう一つの顔なのです。



また、避けたくなるような感情に対して、本当にわたしたちが恐れるべきことは、
それを「感じる」ことではなく、


不快な感情を感じることを避け続け、いずれ、心がわからなくなってしまうことなのかもしれません。



なぜなら、この心の反応とは、”存在しているという感覚” にもつながっているからです。



ですが、この”感情がわからなくなる” という経験をしてこそ、
感じること自体の ”ありがたみ” がわかるようになるともいえるのかもしれません。



また、この”心地わるい” という刺激さえも、
自分の心を見つけるための手段と知れば、
いつか感謝してしまうような、そんな日が来るのかもしれないのです。


どこからどこまでが心なの?



わたしたちは心で ”知覚すること” によって、感覚感情が湧いてきます。


「知覚」とは、目に見えない何かを、身体や心を通して感じ取る力のことです。


そして、知覚したあとには次のようなことが起こります。

「ビクッとした」という知覚は → 「驚き」 に

「心が痛い」という知覚は  →  「悲しみ」 に

「背中がこわばった」という知覚は  →  「恐れ」 に




このように、まず知覚して反応が起こり、そして感情が湧きます

この湧き出た感情は、言葉になる前の感情とも言えます。

これを、ここでは生の感情と呼んでみましょう。


そしてさらに、この生の感情思考が加わることで「意味づけられた感情」となります。


たとえばこんな感じです。



「驚き」という感情 を 頭で考えて  →  「不安」という意味付けへ

「悲しみ」という感情から 何があったの?と考えて →  「さみしい出来事」だったないう意味付けへ

「恐れ」という感情を なんでだろう?と考えて  →  「拒絶されたのかもしれない」という意味付けへ


これらは、生の感情に対し思考による「意味づけ」や、「言語化」が起こった状態と言えます。


このように、生の感情思考が加わることで、

“意味付けられた感情”へと変化していくのです。



この状態は、感情と思考が同時に動いている状態といえます。


つまり、「知覚」→「思考」への橋渡しであり、中間地点であるといえるのです。


心は、本質と世界をつなぐ橋


表層  思考(頭の中でつくった物語・判断)
     
   意味づけられた感情(思考が重なったもの)
     
深層  感情(純粋な知覚


この流れの中で、「心」は一番根っこにある「感じている状態=知覚」につながっています。

そして、それが言語化されたり意味づけされた瞬間に、思考へと入っていく。

そうして感情が「思考に包まれる・覆われる」、そんな状態になるのです。


これらは無意識の内に一瞬で起こる一つの出来事として処理されがちですが、実は丁寧に、そして繊細に見つめることで、少なくとも3つの段階を経ていると気づくことが可能になるのです。




そして、心とは、

「怒ったと思ったけど、実は悲しかった」というような

思考と感情のグラデーションを包みこむものとして認識することができるのです。


この心を通じて、感情を捉え、そしてさらに奥へと進んでいくことで、
思考と心の先にある、”感情の向こう側”に触れることができるようになるのです。

まとめ

「ただ感じる」知覚

「内側から湧き上がる」感情(直観・愛・恐れ)

「意味づけられた」思考的な感情

心とはそれらすべてを受けとめ、響き合わせる場所といえるのではないでしょうか。

それは、思考の始まりでもあり、感情の奥でもあり、ただ湧いてくる ”何か” にも触れている場所。

すなわち、心は、存在への入り口にも通じているのです。


身体が痛みを感じるように、
には“真実や嘘” “安心や違和感”を感じ取る力が隠されているのです。

おわりに



心とは、
「目に見えないけど確かに在る、”わたし”」という存在が
この世界に触れるための ”パイプ” となる役割を担っているといえるのではないでしょうか。

心は本質へと繋がっている。

見えない世界であるため、なかなかお伝えするのも難しいのですが、
少しでも、”心は変わらない何かへの入口である”

そんな気づきの助けとなりましたら、幸いです。


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   華苗
華苗
-kanae-
あやしくて、やさしくて、ちょっと笑えて、だけど本質に辿り着くーー。 そんな言葉を紡いでいます。 お花畑の番人で、錬金術を趣味とする。
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