『わたしたちは心を忘れるようにできている』
「今日もイライラするな。」って、
「切り替えよう、切り替えよう!」って、
日常はあまりにも早く流れていくものだから、
感情に気を取られていたら、置いてけぼりにされてしまうね。
切り替えて、無かったことにして、
次のシーンへと進むこと。
それは、立派な ”調和の選択” 。
わたしたちは、いつの間にか “それ” に慣れてしまっているけれど、
心からしたら、
流れ行く日々も、
社会で生きるということも、
あまりにも早すぎるのかもしれない。
でもある意味それが、現代のおもしろさとも言えるのかもしれない。
日常は次から次へと、波のようにやってくる。
心が、
『ちょっと待って』
なんて思っても、
目の前の人は話し続けるし、
教科書は次のページへと進む。
仕事では滞りが起きぬよう、せっせと手を動かす。
洗濯物も溜まっていく。
そうやって、
わたしたちはこの世界にすっかり馴染んできたようだ。
でも、心の声は『ちょっと待って』と静かに願っているかもしれない。
わたしたちは今”この現実”しか、知る由もないのだけれど、
もしかすると、
ここは
”心を置いてけぼりにしないとやっていけないような世界”
なのかもしれない。
でも、
ーー幸せって、一体どこで感じるの?
そう問われたとき、、
”ぽっぽっ”て、あったかくなる場所はどこ?
そう聞かれたら、
その答えは ”心”なんじゃないかな?
子どもの頃は知っている。
心はゆっくり、じんわり感じたいことを。
この幸せのぬくもりを、そっと、味わいたいことを。
だけど、子どもにも容赦なく日常は訪れる。
みんな身体はよごれるし、
ごはんは食べなきゃいけないし、
歩くことも、
話すことも、
やることたくさん。
子どものうちはまだ不器用で、日常に追いつけないことも沢山ある。
思ったこと、嫌だったことを、上手く伝えられない、
なんてときもあったはず。
目の前の子は泣いていたり、
先生は怒ったり、
勘違いされてしまったり、
そんなままで、
日常は絶えず進んでいく。
この世界は心からすると、
わたしたちが思っているより刺激的で、
流れるペースはとっても早いのかもしれない。
でも、
ーーもし ”心”に幸せが宿るとしたら、、?
本当は、手放したくなんてないはずだ。
でも、この世界に生まれ落ちてから、
心が
『ちょっと待って、感じたい』
と言ったとしても、
”時を止めるボタン” を、誰も持ってはいなくて、
心が感じていられる時間は、
いつの間にか、とても限られたものになっていた。
だから、
”一旦心を置いていく” という選択を、わたしたちは自然と覚えていったんだ。
かまってあげたくても、
そうはできなかった現実が、ここにある。
「心」が”幸せを感受する器官” であるのなら、
それは ”快” へと繋がる道だから、
本来なら手放そうなんて思わないはず。
だけど多くの人は、
この世に生まれ落ちるだけで自動的に、
その大切なものを遠くに置いてきた。
それはまるで、この世の掟でシステムのよう。
ここはそんな、不思議で、”おもしろい場所” なんだ。
この”快”を手放してでも “生きる” 。
そんな選択をしたのがわたしたちだったとしたら、
そんな中でも生きていて、本当にすごい。
みんな、がんばって生きている。
もしわたしが、神社の神さまだったなら、人間さんを本当に応援すると思う。
生きてるということは、よくやってるよって。
そして、今わたしは人間さんなので、お祈りしようと思う。
心を置いてけぼりにしなくてもいい社会が、いつかやってきますように。と。
それは心の幸せを大切にした世界を意味している。
たまに『丁寧な暮らし』という言葉を聞くけれど、
それってたぶん、心が共に在る暮らしを指しているんじゃないかなって思ったよ。


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