本当の自分へ

自分って誰だっけ?|心の奥から聞こえる声とは〈本質への道しるべ7〉

tomoe





この世界では、「心の奥底」に耳を傾けることが、少し特別なことに思われることがあります。


だけど本当は、それは自然で、尊いことだと、わたしは信じています。


以下のような人へ、すこしでも寄り添えたらと思い、この文章を綴りました。

こんな人におすすめ

・心の奥底に「なにかがある」と感じている人

・心の奥底へ行くのが少しこわい人

・自分とは何者なのか、向き合いたい人


それでは、心の奥底の声とは一体なんなのか?

どうしてその声は奥底へと沈んでしまったのか?

はたまた、自分って一体だれなのか?

見ていきましょう。


前の記事でも述べたように、

この世界では、わたしたちは生まれて間もなくして「心」を忘れる仕組みになっていると考えます。

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そしてもし、心こそが”自分そのもの”だとしたら、
やがて人は ”心を見失う” ことでことで、自分との分離を成功させます。

感じる心が自分そのものだとしたらー
感じる心が自分の居場所〈本質への道しるべ6〉
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自分との分離。
それはすなわち、「自分が誰なのか」を忘れるということ。



でもこれは、失敗ではありません。
そうなるように、設計されているものだと考えます。

それはいわば、 ”この世の掟”であり、 ”システム”なのです。


もっと軽く言うならば、それはゲームのはじまり。


自分忘却ゲームとでも言えるかもしれません。




そして、人々は無事 「自分って誰だっけ?」と忘れたとき、
胸の中にぽっかりと穴が空いたような感覚が生まれます。




その穴の中には空虚が漂い、
むなしさが広がっていくーー



生きることの苦しさは、もしかしたら、
ここから来ているのかもしれません。




本来、その”穴”には「在る」はずのものがありました。


でも忘れ去られてしまった今、
そこにあるのは虚無


それを埋めたくなるのはとても自然なことなのです。


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自分がわからない理由と仕組み|感情凍結とその先の適応について〈本質への道しるべ11〉
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でももし、それを埋めることもせずに、
ただ虚無を感じようとしたらーー
それはとても恐ろしいことだと思います。


誰だって、真っ暗な奈落には近づきたくないし、

意味もわからないまま、底を覗き、飛び込んでみようなんて思わないはずです。


けれどその虚無は、
底の方から「こっちを見て~」と叫んでいるようにもみえる。


「堕ちちゃいなよ~」とでも言わんばかり。



ーー ”そんなこと、危ない危ない。”



子どもにとっても、そして大人にとっても、
奈落の底からの声なんて、こわいもの。


しかも、それが自分だけに聞こえる声だったならなおさら。
悪魔のささやき』か『誘惑』として処理するのが大抵でしょう。



また、穴の奥底というのは、
三次元の表層世界とは物理的にも距離があります。



だから、わたしたちに声が届く頃には、
たいていはとても小さく、力が及ばないほど、か細くなっているのです。


それでも、耳をすませてみると、
思いもよらない、”本音”だったりすることもあるのです。



とはいえ、
思考や外側からの声の方が大きく聞こえるし、

たとえそれが、自分自身にやさしい声であっても、
奈落の底のような場所から浮かび上がってくる事実は変わりません。


深い場所は暗い。
それは、


だから、”こわい” という思いは持って当然だと思います。




でももしそこで、誰かがこう言ってくれたならーー


「耳を澄ましてごらん。
 
その声は自分自身から湧いてくる声だよ。」




って。




そして、



「その声を聞かせて。」




と、言ってくれたなら。



もし、そんな風に接してくれる人が居たのなら、



自分の奥底はこわいもの」という先入観は溶けていたのかもしれません。





だけど、今の社会はまだ、そこまで網羅していない。





大人の間でさえも、
心の声にやさしく寄り添う文化” は、まだ浸透していないから。




そして今はまだ、”表層が最も重視される世界” だから。





だからもし、これを読んでくれている人が、

心の奥底の声を聞いてみたいと思っているのならーー




こどもでも、おとなでも関係なく、そっと寄り添いたい。





そして、こんな声をかけたい。


「自分のペースで、ゆっくりでいいから、その階段を降りてみる?

いやなら、行かなくてもいい。

でも、もし降りたいと思ったのなら、
どこまでも一緒に行こう。」




と。




だって、そこはこわくない。

とっても ”大切で神聖な場所” だから。







そしてーー

もしあなたが、一人で向かう冒険者なら。









いってらっしゃい!!


信じてる👍








そして、こんな言葉を言いたくなる。









“「think」より「feel」が好き”








と。











巴

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   華苗
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あやしくて、やさしくて、ちょっと笑えて、だけど本質に辿り着くーー。 そんな言葉を紡いでいます。 お花畑の番人で、錬金術を趣味とする。
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