あなたは「重い」のではなく「深い」のかもしれない|「重さ」の正体と本当の「軽やかさ」とは?
■ はじめに
〜自分のことを「重い」と感じているあなたへ~
あなたは、自分のことを「重い人間かもしれない」と感じたことはありますか?
「そんなに真面目に考えなくてもいいよ」
「もっと気楽にしなよ」
そんなふうに言われて、戸惑ったり、傷ついたことはないでしょうか?
けれどーー
あなたはきっと、「わるい意味で重い」のではありません。
むしろその「重さ」には、その人ならではの『深さ』や『生命の濃さ』が宿っているのです。
この記事では、「重さ」と「深さ」の関係、
また、その深さが導く本当の「軽やかさ」について、
ゆっくり紐解いていきます。
・「重い人」と言われた経験があり、傷ついたことがある方
・人との関係で「もっと軽やかになりたい」と感じている方
・自分の感情の深さを受け入れきれずにいる方
・「深さ」と「軽さ」の両立について知りたい方
■「深さ」とは何か?
~この記事における前提~
まずはじめに、この文章で扱う「深さ」について明確にしておきたいことがあります。
ここでいう “深さかもしれない重さ” とは、
相手との関わり方を尊重しながらも、内なる深さを持つ状態 のことを指します。
そのため、次のような場合は今回のテーマの対象とは異なります。
- 相手を責めたり、罪悪感を植えつけようとする態度
- 自分の感情の責任を相手に預ける行為
- 相手を操作しようとする言動
感情そのものは尊いものです。
しかし、それを相手のせいにしたり、お互いが分かり合うための主張ではなく、
相手に勝とうとするなど、建設的ではない行為は、ここでの「深さかもしれない重さ」とは異なるものといたします。
この前提をふまえて、「重さ」と「深さ」、そして「軽やかさ」について、
一緒にみつめていきましょう。
この記事は読むのに、だいたい10分ほどかかります。
ごゆっくりおたのしみください☆
なぜ「重い」と言われてしまうのか
現代社会で「重さ」が敬遠されやすい理由
「重い」と言われる背景には、社会のこんな風潮があるのではないでしょうか。
人は多くの場合、失敗や間違いを避けて生きようとしています。
自分の ”欲” や ”本音” を押し殺して、「正しさ」や「効率」を優先することが多いのです。
そんな中で、“まっすぐさ” や “深さ “ は、
ときに異質に映ります。
「そんなにまっすぐに生きたら、人生はどん底に落ちる」
そんな恐れを感じて、周囲は腰が引けてしまうこともあるでしょう。
だからこそ、人から「重い」と言われてしまう。
けれど、それは あなたの欠点 ではなく、
むしろ、あなたの持つ”生命の濃さ”とも表現できるのです。
あなたの「重さ」は、実は「深さ」かもしれない
自分の想いに正直な人は、自分の底を「悪」だとは思っていません。
だからこそ、衝動や願いに対して まっすぐに切り込む勇気 を持っています。
そしてそれは、本質へとつながる道でもあるのです。
しかしそれは、多くの人が選べなかった勇気ある態度。
だからこそ、周囲の共感を得られず、誤解されやすく、
時に、批判の的にもなってしまう。
その結果、あなたは「めんどくさい人」「ドロドロした人」だと
自分のことを思い込んできたかものしれません。
でも、本当は違うのです。
あなたは 深いところまで潜る力と勇気を持った人なのです。
そしてそれが意味するところは、あなたは奥深い人であるということなのです。
「奥深い人」とは、どんな人?
・感じるときに、表面だけでなく、その奥にある意味や感情までも感じ取れる人。
・考えるときに、問いを深くまで掘り下げていく人。
・伝えるときに、真心や背景までも、差し出す人。
こんなふうに、深く・細やかで・豊かで・立体的に、
ひとつの出来事を多角的に読み取り、味わえる人のことを “奥深い人” と表せるのではないでしょうか。
だからこそ、そんな人の発する言葉やふるまいには、たくさんの”層(レイヤー)”が織り込まれているのです。
感じたこと、学んだこと、愛したこと、痛んだこと、
それらが魂の深いところに積み重なり、
言葉や行動の背景に 豊かな質感 を生み出している。
この質感とは、ただの情報量が多さではありません。
そこには時に、命の重み や 愛情の深さ が染み込んでいるのです。
それは、心で感じる「触感」みたいなもの。
そしてこの”奥行きのある質感”を生み出す基となるのが、
「密度が濃さ」または「質量が重さ」なのです。
この「密度が濃さ」とは、命の濃さでもあり、存在の力 そのものでもあります。
奥深い人がもつ「受け取る力」とは?
さらに、奥深い人は、発する力だけでなく、
受け取る力ーー「容量」も大きくなります。
・一度に受け取れるエネルギー量
・処理できる情報の広さ
・世界や他者の複雑さを理解し、自分事として吞み込める包容力
そして、これらを「自分の中で統合して存在できる力」 のこと。
こうした力は、「在る」ということを避けずに向き合う姿勢から育まれると考えられます。
それはただ息をしているだけではなく、
まっすぐ”感じること”を選び、
表面で納得せずに、”深く考えること” をやめなかった態度、
そして、人と関わるときに、
「どうしたらこの人を本当に大切にできるか?」と問い続けた心。
そんな日々の歩みの中で、知恵や経験が蓄積され、密度は詰まっていくのです。
自らの深みを理解しきれない内は、”この密度” をどう扱えばいいのかわからず、
ときに「重い」と受け取られてしまうことがあるかもしれません。
けれど本当は、そこには美しい豊かさが宿っているのです。
深さを受け入れることで訪れる「軽やかさ」とは?
「深い人」が伝え方でつまずきやすい理由
深い人が、想いをそのまま差し出すと、
”ふだん薄くしか触れてない人”には濃すぎて、びっくりされてしまうことがあります。
でもそれは、”差し出す側がわるい” のではなくて、
ただ、受け取る側のスプーンがちいさかっただけ のこと。
しかし、自ら “密度の濃い人間” であることに気づき、認めない限り、
「自分は重い人間なんだ」というレッテルから目を覚ますことはできません。
奥深さというのは、「人生の深みを泳いでいる人」にしか宿らないものです。
だからこそ、自分の「重さ」を「深さ」として愛し、受け入れることが大切だと考えられます。
「重さ」から「軽やかさ」へ
そして、「軽やかさ」とは、”薄さ “のことでも、”浅はかさ” のことでもありません。
それはーー
「重さを抱えながら、それでも誰かにやさしく触れられる力」のことだと思います。
大切なものをたくさん持っているからこそ、
「目の前の人が受け取れる分だけ」差し出していく工夫が必要となります。
また、伝えるときには少しずつ、翻訳して届けることが大切です。
自分のことを「重い」と感じている人は、
もしかすると、すでに ”軽やかさへの入口” に、立っているのかもしれません。
「軽やかさ」とは何か?
「 命の深さ 」を受け入れ、味わいきったとき、
その先にあるのは「本当の軽やかさ」という 気楽な自分 なのかもしれません。
まだ、わたしはそこまで辿り着いていないので、想像ではありますが、
深さを通り抜けた人だけが持つ 空気感 というものがあるような気がしています。
これは、わたしの夢に出てきた気楽な人物からのインスピレーションで、
そのような次元が存在するように感じました。
その人はまるで、”思想を通り抜けたあとの風” のようでした。
きっと本当の軽やかさとは、一朝一夕で身に着けられるものではないのだと思います。
何時も「在る」ことを選択し続け、幾多もの層の深さを通り抜けた先で、
自らの”深くて澄んだ核”に辿り着く。
その後も”深くて澄んだ核”にアクセスし続け、
それを「思想」と呼べるまでに肉体に降ろし、
突き詰めた先に、
突然の「抜け感」はやってくるのではないでしょうか。
それは安心感を纏い、やがて包容力となって周囲の空間を満たすのです。

この包容力とは、
・愛と受容の先にある女性性の包容力
とは異なるように感じます。
・知恵の先にある男性性の包容力
ではないかと想像しています。
それはまるで”雨雲嵐”を通り抜けた先に現れる、澄んだ快晴のようでした。
「軽やかさ」を持つ人の在り方とは?
相手を正そうともしない。
理解しきろうともしない。
でもちゃんとここに居るということをまるごと肯定されてるような、静かな安心感。
そんな余白のあるやさしさがあります。
その姿は「場」「空気」「人の気持ち」「自分の感情」すべてに対して、
かすかに波紋を起こさずに、ぴったり合っている状態。
ものすごく、でも、自然に調和していて、
在り方そのものが、自然と周りの人を喜ばせる。
その姿は、
・理想を持っているのに力んでいない
・すべてを観察しようとしているのに、コントロールしようとしない
・深さがあるのに抜けている
それはまるで、
〇「正しさ(自分の思想)を持っていても、力まずに生きていいんだよ。」
〇「理想を持っていても、空気のようでいてもいいんだよ。」
こんなことを教えてくれているように感じます。
自分の中で相反するものを「対立させずに」見つめられ、
思想を持った そよ風 のような存在。
すごく強くて、やさしい人。
軽やかな人とはそんな在り方なのではないでしょうか。
「軽やかさ」の奥にある透明な力
「抜け感」とはなに?
軽やかさの奥にある、“抜け感” 。
それは周囲から見ると、ちょっと ”ちゃらちゃら” して見えるかもしれません。
けれど、その ちゃらっとした軽やかさ が、
なぜか心地よくて、人はつい心を開いてしまうのです。
この「抜け感」はおそらく、ある時ふっと訪れるもの。
・「もう力まなくていいんだ」と体が知っているような感覚
・思想や感情でいっぱいになった後、ふっと湧いた許せる自分
・ゆるやかに、でも本質を突く鋭さ
そんな境地なのではないでしょうか。
「信頼される軽さ」とは?
・自由だけど、他者を無視していない。
・責任感はあるけど、重くない。
・他人の気持ちに敏感だけど、それを背負うことはしない。
それは「抜け感」って言葉では足りないくらいの、 ”信頼される軽さ”
感じようとしたときに、
思わず「かっっっる!」と言ってしまいそうな”透明な存在感 ”
そんな姿ではないでしょうか。
おわりに
人生の目的のひとつは、
より深く生きること なのかもしれません。
これまで「重さ」だと思っていたものは、
実は”深さ”であり、”命の濃さ” だった。
そんな気づきとなれば幸いです。
そして、その「重さ」は財産で宝物。
だから、無理に軽くなろうとしなくていい。
むしろ育てちゃお。
あなたの中の奥深さが、
森のように豊かに、
海のように広がってゆきますように。
それでは、ありがとうございました。


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