感じる心が自分の居場所
「自分は一体何者だろうか?」
「どうして、自分は”ここ”にいるんだろう?」
そんなことを考えたことは、あるかな?
当たり前に感じている”自分の存在”。
でも、よくよく考えてみると、とっても不思議だね。
「そんなこと、な~んも考えたことない!」
って?
うんっ!!
それもまた、素敵だ!
これらはね、昔から哲学者たちもずっと問い続けてきたテーマなんだ。
哲学者の有名な言葉で
「我思う、故に我あり」
ルネ・デカルト
とあるように、
多くの人がわかっているのは、
「こうやって考えている自分が居ることだけは確かだね~」
ってことくらいなんだ。
人類の歴史がこれだけ長くても、
”自分とは何か”を本当に理解できている人は、ほとんどいないよう。
これってなんだか不思議で、おもしろいことだよね。
だけど”今ここ”で、
わたしたちの”存在”そのものを証明することは難しくても、
自分が今「何かを感じている」という事実、
これは捉えられるかもしれないよ。
おぉ。
今この瞬間の “感じている心”
見つけちゃった?
この心こそが、”存在”への入口で、
”自分”という扉に繋がる鍵になんだ。
ーーたとえばね、
”快・不快”といった体感は、
外側からじゃなくて、自分の内側から湧き起こることだね。
それらは、自らの思考や、他人の評価を越えた場所から、
自然にふっと立ち上るもの。
今この瞬間も、確かにわたしたちは”何か”を感じている。
その”何か”とは、
生まれたときからずっと、共に歩んできた。
その声は遠くとも、小さくとも、
たとえ今は ”何か”とのつながりが薄れているように思えても、
その存在は、ずっと見ているし、あなたの中で息づいているんだよ。
たとえばこんなふうにーー
同じような出来事が起こっても、
「うれしい」と感じる時と、そうでないときがあるよね。
その違いは”出来事”そのものからではなく、
”心の共鳴”が起こっているかどうかによって変わるんだ。
”心の共鳴” とは、 ”自分の本質” と何かが触れ合ったときに起きる現象。
自分でも気づいていなかった願いや、
本当に大切なものに、
そっと触れたとき、
心は静かに『YES』ってうなずいてくれる。
そして、 ”心が『YES』” というとき、
すなわち ”心の共鳴” が起きるとき、
それは最も自分らしい状態のサインなんだ。
ーーだけどね、前の記事でも記したように、
わたしたちの多くは、いったんは、心の存在を置いてけぼりにするようになっている。

そして、心を置いてきぼりにしたままでも認知可能な、
”脳で感じる喜び”は、
社会の声や常識、まわりの期待に沿ったものであることが多いんだ。
だから、本当の自分らしさとは少し、ズレてしまっていることもある。
でも、心で感じられる「快」や「幸せ」というのは、
結果ではなくて、
”今ここ”にいる「本当の自分」を感じ取り見つけている証なんだ。
だから、本当の自分を感知している心の中にこそ、
”本当の自分の居場所”
があるんだよ。
本当の自分は、
どこか遠くじゃなくて、
ずっとここにいたんだね。
