心の探求

『感じる心が自分の居場所』

kanae



はじめに


今回の記事では、
「自分とは何か」
「感じている心とは何か」
そんな問いに触れてみたいと思います。


はっきりとした答えや結果を探すよりも、

”今ここにある心に気づく”
そんな時間となりましたら幸いです。


自分って何だろう?


「自分は一体何者だろうか?」

「どうして、自分は”ここ”にいるんだろう?」




そんなことを考えたことはありますか?



当たり前のように感じている”自分の存在”


しかし、よくよく考えてみると、不思議ではありませんか?






「そんなこと、
 考えたこともないよ!」





って?




うんっ!!


それもまた、とっても素敵です。







これらは、昔から哲学者たちが問い続けてきたテーマなのです。






哲学者の有名な言葉で、


「我思う、故に我あり」

ルネ・デカルト




というものがあります。




私たちがわかっていることは結局、



「こうやって考えている自分が居ることだけは確かだねぇ」



ということくらいなのです。




人類の歴史がこれだけ長くても、
”自分とは何か” を本当に理解した人は、ほとんどいないのかもしれません。




それは、なんだか不思議で、
この問いが、答えがないまま受け継がれていることも、
どこかやさしいことのようにも
感じられませんか。




感じている、という事実



たとえば、今ここで、
わたしたちの”存在そのもの”を証明することは難しいと思うのですが、



自分が今「何かを感じている」という事実


それを捉えることはできるのではないでしょうか?




退屈だとか、
夕日がきれいだとか、
コーヒーのいい匂いがするとか、




今これを読んでくれている方が何を感じているのかわかりませんが、




今この瞬間の“感じている心”




それを見つけることはできるのではないでしょうか?





それはとても微細な感覚かもしれません。




しかし、今感じている、この”心”こそが、”存在”への入口で、

”自分”という扉に繋がる鍵となるのです。





そこに在り続けるもの




自分の内側からふっと湧き起こる”何か”を感じたことはあるでしょうか?



それは、「快・不快」の手前にある感覚

「気持ちいい・気持ち悪い」などの判断が下る前の地点があるのです。



たとえば、


・胸がふわっと開く感じ

・お腹がきゅっとする感覚

・ほんの一瞬の、言葉にならない感覚



これらは、思考の”ラベル”が貼られる前の状態。


それは、評価や判断へと分かれる前から既にある、”微細な振動” といえるのではないでしょうか。



今この瞬間も、わたしたちはその”何か”という ”存在そのものの響き” を感じ続けているのかもしれません。




それは、
生まれてきたときからずっと、
共に歩んできたもの。


その声はたとえ遠くとも、小さくとも、
今は、つながりが薄れているように感じたとしても、



その存在は、ずっと見ているし、自分の中に息づいているのです。




心が『Yes』というとき




同じような出来事が起こったとしても、
「うれしい」と感じる時と、そうでないときがあると思います。




その違いは”出来事そのもの” から生じるのではなく
”心の共鳴”が起こっているかどうかによって変わるのではないでしょうか。




”心の共鳴” とは、”自分の本質” と”今、感じているもの” が触れ合ったときに起きる現象のこと。



自分でも気づいていなかった願いや、
本当に大切なものにそっと触れたとき、
心は静かに『YES』と、うなずいてくれるのです。



そして、 ”心が『YES』” というとき、


すなわち”心の共鳴” が起きるとき、


それは最も ”自分らしい状態” のサインと言えるのかもしれません。




本当の居場所は内側に




前の記事でも記したように、
わたしたちの多くは、一度は心を置き去りにしてきたように感じます。




心を置き去りにしたままでも認知可能な、


”脳で感じられる喜び” は、


社会の声常識周囲の期待に沿ったものであることが多いのではないでしょうか。



そのため、「本当の自分らしさ」から少しずれてしまうことも、よくあることなのかもしれません。。



一方で、心で感じられる「歓び」「幸せ」は、


単なる結果というよりも、


今ここにある「自分の核や本質」と繋がっている証といえるのです。



なぜなら、そのとき起きた心の共鳴は、核や本質から届いた『Yes』というサインだから。





外側の物理的な場所だけでなく、

感じている心の中にも、


”自分の居場所” となる

スペースがある。




いつだって戻ってくることができる場所は、
世界のどこかではなく、

今ここに、
そして、自分の中に、
つくることができるのです。








”本当の自分”とは、

自転車で旅に出なくても、

どこか遠くじゃなくて、

ずっとここに、あったのかもしれません。








巴

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   華苗
華苗
-kanae-
あやしくて、やさしくて、ちょっと笑えて、だけど本質に辿り着くーー。 そんな言葉を紡いでいます。 お花畑の番人で、錬金術を趣味とする。
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