『心が傍にいるときに人生は沁みわたる』
前回の記事で綴ったように、

心をどこかに置いてくることに成功した人たちは、
日常についていき、社会と同じペースで歩む力を手に入れます。
たとえば、
●本当の気持ちよりも相手に譲ること
●本当にしたいことよりも感謝されることを選ぶこと
●自分の気持ちをいったん横に置いて対応すること など
これらのことを身に着けながら
学校に通って、
友達をつくったり、
クラスメイトと関わったり、
していくのです。
そうして、この社会での生き方を、少しずつ学んでいくことになります。
だんだんと”心をコントロールする術”や”心を置いていく術”を身につけ、
”大人” と呼ばれるようになっていくのです。
そんな現代の、学校や社会で推奨されているのは、
”目標達成のための人生”
ではないでしょうか。
その中でおそらく多くの人は、
行動の軸が、自分の”気持ち”より、
親、先生など、周囲の人の”安心”が基になる。
または、学校で本当に規律を学べる人は、
自分を律して努力をして、
目標の志望校のために勉強をして、
目標の会社に入るためにいい成績を修めて、
会社でも同じく頑張り、結果を出すのかもしれません。
それは、すごい生き方だと思います。
ですが、現代社会の現状として、
心を軸にすることよりも、
「スムーズに物事が運ぶこと」
または、
「計画通りに物事が進むこと」
の方に価値が置かれているのは事実だと思います。
すなわち、本人の「気持ちや感情」よりも、
「役割・成果・ルール」の方が重んじられることが多い。
そのような理由もあって、学校や社会では
心をあまり使わずとも得られる “満足感の追求” が勧められているのではないでしょうか。
それは、たとえば、
・達成感
・充実感
・褒められること
などが挙げられます。
そして、それらを得るために、
・努力
・情熱
・根気
を惜しまない人々が、賞賛される。
それはすごいことで、
そのこと自体に、なんの疑いもないのですが、
それでも、どうしてこんなにも、
”心” の大切さを語りたくなるのか。
それは、
心を遠くに置いたままでも得られる達成感と、
心がすぐ傍にあって得られる、溢れるような想いは、
まったく”違う質の輝き”をもっていると思うからです。
一時的に満たされるものと、
自らの存在の本質を抱きしめるような体感は、似て非なるものです。
心が欲する道と、
社会的に正解とされる道が
いつも重なるとは限らない。
だからこそ、
心が遠くにあるままで、
社会的な成功
それらが積み上げられてしまうと、
ある日ふと、
「なぜ満たされないんだろう」
と、立ち止まる瞬間がやってくるのではないでしょうか。
それまでが無駄ではないのは事実で、
”限界点” に到達しなければ、触れることのできない世界が存在するのだと思います。
それまでのすべてが尊い選択で、かけがえのない経験である。
だけどもし、心が遠くにありながらも、目標達成を続けているとき、
または、”成し遂げているのにどこか満たされない” とき、
わたしたちは “もっともっと幸せになれる可能性” を、内包しているのではないでしょうか。
達成感・充実感・承認、
それらは ”脳で知ることができる満たされ感”。
でも、”幸せ”というのは”心”で感じるもの。
だからこそ、それを捉えるには、感受するための”心”が必要で、
本当の、平面ではない、立体的な幸せはーー
心が傍に居てくれて、はじめて味わえるものなのではないでしょうか。
心と繋がっていることで、
達成感はもっと深く、
自分自身の中に沁み込んで、
”生きてる”という 黄金色の光 に変わるのです。


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